こんにちわ hideです。
引き続きスタンディングワーク絶賛継続中です!
さて、今日のテーマは、
成功できる人とできない人の違い
です。
このテーマは、誰もが意識しすることだと思います(成功したくない人いませんよね)
私のその一人です。
問題は、じゃあどうする?
なのですが、
最近、今までなかった視点、あるいは、かつて意識した瞬間もあったけれども常には意識していなくて、最近になって常に「意識しようと」している視点が出来ましたので紹介したいと思います。
それは、
死を意識する
ということです。
きっかけは、たまたま目に触れたネット上のコラムでした。
鎌倉時代初期の禅僧・道元に弟子が聞きました。
どうすれば成功するか?
(偉大な師匠にこんなストレートな質問するのは結構ビビるかもしれませんがw)
最終的な答えが「死を意識する」でした。
死ってもちろん誰しも意識はしていると思います。
私もそう。
ですが、それを臨場感を持って出来ているかといえば、むしろ意図的に先延ばしにしてあたかもまだ来ない遠い未来のように考えているのではないか?
なぜなら、本当に死を意識しているのなら、医者から寿命は持って半年です、と言われても動じないはずなので。(つまり、死を意識している=いつ死んでもいいように常日頃から生きている)
別の例を挙げれば、
誰かから、あなたの夢は何ですか?
と聞かれて「即答」できるか?
常に考えているのなら立て板に水的に即答できないとおかしいわけです。
聞かれて、「えぇ~と」と言葉に詰まるなら、それは意識しているとは言えない。
コラムを読んでそう思いました。
人間だれしも、
寝坊して遅刻しそうになったら、なりふり構わず猛ダッシュで駅まで走ります。
そんな時に、今晩の晩御飯は何を食べようかとか、気になる漫画の続きとか気にする余裕はないです。
途中で、通行人にぶつかりそうになって、その人から「危ない!」と罵声を浴びても意に介さずに走るでしょう?
つまり、必死とはそういうことだと思います。
一秒一秒を必死で生きているか?
これに自信をもって即答できる人はおそらく死を意識しているのと同じ状態なのだと思います。
そういう多くの人にとって非日常が日常である生活を送る人が成功する。
これは、至極当然なことなのだと思います。
死を恐れない、のとはちょっと違う。でも、死が現実となっても動じない、そんな日常をいかに過ごせるか?
今は、思い出しては自分の死とは何か、意識することで近づこうと思います。
最後までお読みいただき感謝です。
今日も一日頑張りりましょう
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