スタンディングデスク 復活したきっかけ

スタンディングデスク 復活したきっかけ

スタンディングデスクが続かなかった理由

何かを変える。これって日常的になくもないです。
例えば、食料品。いつも買っていた卵を、ちょっと気になって隣りの別の生産者の卵にしてみるとか。
あるいは、いつも聞きなれたアニソン。そのアニメがテレビ放送が終了して、別の新たなアニメが面白くなりそちらのアニソンに夢中になるとか。
こういう変化はありがちですし、何となくできてしまう。

ところが、同じ変えるにも、例えば、いつも右手で書いていたのを左手に変ええ書いてみるとか、起床時間を10分早めてみるとか。このての生活習慣ってサクッといきなりやろうと思っても無理。
長年慣れてれば慣れてるほど、いちいち意識しなくても無意識にできてしまう行動パターンなのでそれを変えるのは物凄い抵抗を自分の中で感じます。

やってはみるけれど、初めから違和感あるから長続きしない。続けること自体がストレス。こういった新たな試み自体に効果があるかどうかわからない場合はもちろんですが、仮に効果があるという情報で始めた場合でも、すぐに効果を実感できないと、昔から慣れてきた行動を否定されることで自分には合わないとか、情報が間違っていたとか自分を正当化しまいます。その結果、やったつもりで効果なしと判断してしまい続かない。

これでよく思い出すのが(誰が言い出したのかはわかりませんが)、会議で賛成派の多数意見はたいてい失敗し、少数の反対意見を採用して成功する確率の方が高いという話です。
賛成派の多くは、過去のやり方を真っ向から否定する方法は生理的に無意識に抵抗する本能があるんでしょうね。これをホメオスタシスというそうです。恒常性維持本能と訳されます。いいか悪いか以前に、それまでの習慣を否定されると自分が否定されたと勘違いして反対する。なんとなくいいと思ってきたものを変えるのは、それ自体がリスクと判断して本能的に否定したくなるんですね。

別視点だと総論賛成極論反対。物事を変えることは良いことだと一般論では支持していても、いざ自分の領域が侵食されると感じるとさっきまでの賛同が嘘のように忘れされられ、なんだかんだと理由をつけて反対票に投じてしまいます。

このホメオスタシス、これはこれで大事な本能といいます。ホメオスタシスは精神だけではなく、人間のホルモンの恒常性の維持という部分もあります。冬の寒い外で、外気に合わせて体温がどんどん下がっていったら命の危険が高まってしまいますから。

でも、これが精神的なものになると過去の慣習・考え方をかたくなに守る行動になるので「保守的」と評価されてしまいます。
体温が一定に保たれるのであれば素晴らしいのですが、人は得てしてよほど意志が強くないと、いつの間にか理性ではなく欲望に流されてしまいます。

例えば上の冒頭の例で朝の起床時間。なれない職場なので余裕をもって30分前に起床していたのが、いつの間にかずるずると遅くなり、気づいたら二度寝して危うく遅刻しそうになるという経験って多くの方があるはず。
つまりどういうことか?
私はこれは、ソラでもできてしまう日常習慣ほど体に身についてしまい、たとえ変える価値があると頭でわかっていても体が抵抗してしまい、その欲求に屈しやすいということだと考えています。

スタンディングデスクを再開した理由

前置きが長くなってしまいましたが、最初に私がスタンディングデスクを途中で辞めてしまった時は、そのメリットを実感する前に、慣れない生活習慣(この場合は立って仕事をする)に耐え切れずに途中で挫折してしまったからでした。
その証拠に、やめた後も、何となく心の片隅に、スタンディングデスクのことがあったように思います。

ただ、一度やってダメだったので、以前と同じではうまく行く気もしなかったと感じていたのも確かでした。
つまり、再開するにはそれなりの工夫や偶然が必要でした。私の場合は偶然というか気まぐれな思い付きでした。

ふと、いつものように椅子に座って作業をしようとしたときに、ふと

「机の向きを変えてみたらどうだろう?」

そんなことが閃きました。
なぜかはわかりません。その時はなんとなくでした。
丁度、パソコンデスクにキャリアがあって、楽に動かせるので、その場で移動してみました。
それまでは、壁に向かう位置にデスクを置いていましたので、今度は窓を背にしておくように変えたんです。

それまではパソコンの向こうには壁があったのが、今度はリビング全体が見える。視野が一気に広がり部屋全体を見渡せる変化がすぐに分かりました。
一気に視界が広くなり開放感を感じました。
この解放感をその時感じた別の表現をするなら、まるで、喫茶店の一番奥の席で、壁を背にして店内を見渡せるような席に座った感じです。

「これで立って作業したら気持ちよさそうだな」

なぜか、そこから連想で、こう思ってたんですね。
すぐにやってみました。
これが、復活再開できたきっかけです。

なんてことはない。
机の向きを変えてみた。
これだけです。

特段の努力とか我慢とかは必要ありません。
もしかしたら最初にスタンディングデスクをやってみようと思った際にやっていたら途中で挫折せず続けられたんじゃないか。そう思いそうですが、分かりません。それをしていてもそれまでの習慣からくるストレスに負けてしまい、変化の有効性を判断する以前にやめてしまったかもしれないので。

エジソンが1000回失敗して他人にもうやめたらと揶揄されたときに「失敗じゃない。1000回ダメなことがわかったからこれは成功なんだ」といったとか言わなかったとかありますが、私が最近常々感じていることです。
それは、何かを成し遂げようと思ったら、誰にでも効果がある万人向けの方法なんてない。
私にしかできない方法がどこかにあって、それは誰かが教えてくれるわけじゃなく、最終的には自分で試行錯誤して見出すしかない。
努力が報われるかどうかはわからないけれど、分かるまで努力しないと絶対わからない。
一般的な方法を試してダメならもうやめた。では正解にはたどり着けない。

今年になって、GACKTさんが、自身のインスタグラムで言っていた言葉、

「努力が全てむくわれるわけじゃない
でもな
成功した人で努力なしに
辿り着いたひとはいないんだよ
楽しようとするな
隣りの奴と同じことをやってて
自分だけ成功できると思ってるなら
オマエはいつまで経っても上には上がれないぜ」

と重なりました。
ただし、変えてみたことが最終的に自分には適さないということもあると思います。変えようとしたことが別にあって、変えなくてもいいことを変えてしまい気づけなかったという場合ですね。
いずれにしても、問題課題があった場合は、現状維持は解決にならないし、解決策が見つかるまでは試行錯誤をし続けるしかないと思う訳です。

スタンディングデスクで言えば、適しているにもかかわらず、最初の安易な判断で自分には合わないと思って辞めてしまいました。しかし、その後も色々もがく中で再度チャレンジするという幸運㋾つかむことができました。
そう考えると、あきらめないで続けること。最終的に大事なのはエジソンがやっていたことなんだなと思います。

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